2018年12月01日

あなたの血は何色ですか

遂に師走!その名の如くアルバイト先の塾での冬期講習が始まり忙殺されている&前回の投稿が思いがけず反響を呼んで少しびっくりした木セク煎茶です!実は毎回のブログリレーでは幹部の中で一番お気に入りとリツイートを多く稼ぐ事を目標にしているので内心ガッツポーズでした(笑)

あと近況報告になりますが、秋合宿から帰還した翌日からゼミの合宿に行って研究報告をしてきました。秋合宿の睡眠不足のせいで死ぬかと思いましたが、何とか乗り切ってベストプレゼンター賞を頂きました!貰って嬉しいプレゼントランキング上位である図書カードを貰ったのでまた国際政治の研究に励みたいと思います。最近は中立国の外交政策に興味が出て来ました。研究って本当に楽しい。

前置きはこの位にしておいて、今回も僕が言いたい事をだらだら書いていくのですが、まずは以下の小説を読んでみて下さい。中学校の教科書に載っていたのでもしかしたら知っている人も多いかもしれません。お察しの通り今回の記事も大長編、しかも過去最大分量です。長くなりそうなので僕はコーヒー注いできますね。

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摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。

そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はその扱き出す三間柄の大身の鎗の鋒先で、さきがけ殿の功名を重ねていた。

そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような猩々緋の服折を着て、唐冠纓金の兜をかぶった彼の姿は、敵味方の間に、輝くばかりのあざやかさをもっていた。

「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵の雑兵は、新兵衛の鎗先を避けた。味方がくずれ立ったとき、激浪の中に立つ巌のように敵勢をささえている猩々緋の姿は、どれほど味方にとってたのもしいものであったかわからなかった。また嵐のように敵陣に殺到するとき、その先頭に輝いている唐冠の兜は、敵にとってどれほどの脅威であるかわからなかった。

こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的であった。


「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男の士は、新兵衛の前に手を突いた。「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうて見い」と育ぐくむような慈顔をもって、新兵衛は相手を見た。

その若い士は、新兵衛の主君松山新介の側腹の子であった。そして、幼少のころから、新兵衛が守り役として、わが子のようにいつくしみ育ててきたのであった。

「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣じゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜を借してたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」

「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。

「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。


そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と鎬をけずった。戦いが始まる前いつものように猩々緋の武者が唐冠の兜を朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、駒の頭を立てなおして、一気に敵陣に乗り入った。

吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返した。
その日に限って、黒皮縅の冑を着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者のはなばなしい武者ぶりをながめていた。そして自分の形だけすらこれほどの力をもっているということに、かなり大きい誇りを感じていた。

彼は二番鎗は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到した。

猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしなかった。そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っていた。

新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がついた。いつもは虎に向かっている羊のような怖気が、敵にあった。彼らは狼狽え血迷うところを突き伏せるのに、なんの雑作もなかった。今日は、彼らは戦いをする時のように、勇み立っていた。どの雑兵もどの雑兵も十二分の力を新兵衛に対し発揮した。二、三人突き伏せることさえ容易ではなかった。敵の鎗の鋒先が、ともすれば身をかすった。新兵衛は必死の力を振るった。平素の二倍もの力さえ振るった。が、彼はともすれば突き負けそうになった。手軽に兜や猩々緋を借したことを、後悔するような感じが頭の中をかすめたときであった。敵の突き出した鎗が、縅の裏をかいて彼の脾腹を貫いていた。
(菊池寛『形』青空文庫・ふりがなは省略)

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だいぶ前の10月3日、今年の菊池寛賞が発表されたというニュースをTwitterで見てこの「形」という作品を思い出し、その時から次回のブログテーマはこれにしようと思っていました。確かこれは僕が中3の時に学校で読んだ作品なのですが、幼いながらにもグサッとくるものを感じて未だその時の感覚を忘れる事が出来ません。僕は文学部ではないのでそちらの方面には明るくないですが、賞の名前を冠するだけの大作家が書いた作品だけあって人間の本質について大変考えさせてくれるものなのではないかと思います。また、そういう事について思索するのが文学部の存在意義ではないかと考えるので文(系)学部改廃運動には共感しかねますね…。

政権批判はさておき、この小説のテーマである「形」というものは何だろうと考えると、社会的集団の中では「外見」とか「肩書き」になるのではないかなと僕は思います。この小説の中では、中村新兵衛が一度戦場に出ると相手兵士は怖気づいてしまうという描写がありますが、いつの間にか相手は新兵衛その人ではなくその派手な鎧、つまり彼の上辺だけを恐れるようになってしまい、いざ「形」を若武者と交換してみると敵兵の勢いに苦戦し遂には非業の死を迎えてしまう…。

改めて考えてみると、「形」というものは確かに便利だと思います。例えばセクション練習で僕は「そこはもう少し固い音で」とか「ちゃんと頭から揃えて」とかいう発言をする事が多いと思います。また、そうでない人もいると思いますが、1・2回生の中には「先輩だから楽器が上手いに違いない」と思っている人も一定数いるのではないでしょうか。前者が実際に演奏に反映されるとそれなりに良い「雰囲気」になる事もありますし、後者に関しては実際「トップ席」に座っているのは2・3回生が多いため、経験年数的な観点からするとある程度までは本当の話だと思えなくはありません。

しかし、上記2つの例もあくまで「形」上のものでしかないと思うのは僕だけでしょうか。硬質な音で演奏するというのはその曲の内部を表現するための手段でしかなく目的ではない。また、トップ席に座っているからと言って必ずしも激烈に上手という事もないのではないかと思うのは僕だけでしょうか。特に後者に関して申し上げますと、本当に嫌味でも何でもないのですが、僕はセクションリーダーという肩書きまで持っているので何かと上手く見られがちです。知っている人は知っていると思いますが、この際言っておきます。実は僕、結構下手くそです…。こういう時に基礎練を真面目にやって来なかった自分が少し嫌いになります。

特にこの話が当てはまるのが今回全員が一番苦戦しているであろうコミタスについてだと思います。正直言って僕は今までこんなにも悲劇的な曲は吹いた事も聞いた事もありません。知れば知る程面白味が増してくる名曲だと思います。今日でも大量虐殺についてはトルコ政府とアルメニア政府の間で認識の違いがあるようですが、無辜の市民が「アルメニア人だから」という理由で惨殺されたという事を思うと本当に涙が止まりません。自分の専門分野と被っている所があるので感情移入は激しくなりがちですが、それでもそういった人を泣かせるような力、内に秘めた力が欲しいと秋合宿後の録音への感想をデ・ブールさんにも久保田先生にも頂いたはずです。つまり、我々の演奏は他の曲も含めまだまだ「形」にすがった音楽でしかないという事です。

かと言って、僕含め音幹や久保田先生がその正解への鍵を握っている訳でもありません。理由は簡単です。誰もが言うように、音楽における正解は存在しないから。と言うよりもどの道をとっても正解だからと言った方が良いでしょうか。まあ、全部の答えが全部全員を感動させるか問われると多分そうじゃないから音楽は難しいのでしょう。でも、前回のブログでも述べたように、音幹だけが頑張っても良い演奏を作るなんて到底無理な話なんです。あくまで僕(達)が言っているのは「こうすれば良いんじゃない」程度のものです。言葉足らずで僕のセクション練習では押しつけがましく言っているように見えると思いますが…。ソロに限らず音楽をする時は「こう吹きたい!!」という強い意志が何よりも大事なんです。

いくらリーダーが素晴らしい指導をしたとしても、結局の所個人個人から発せられるパワーがないと力強い(≒秘めた力が伝わってくる)音楽は絶対に完成しません。だから、これからは個人技術の向上が必須です。もちろん誰かに合わせるという行為は必要ですが、トップがどうとかそういうのはあまり関係ないんじゃないですか。全員で上手くならないといけません。楽団は楽団そのものではなくメンバー個人全員が表現者たる芸術家です。いつまでも誰かに依存していてはその人がいなくなった時絶対に路頭に迷います。それを防ぐためにも、全員が曲の奥深くに滞った血液を呼び覚まして下さい。

先日3回生で飲み会がありましたが、「こうやってしょうもない話に花を咲かせる楽しい時間もあとちょっとか」と思うと胸が締め付けられる気持ちでした。やろうと思えばやれますし集まろうと思えば集まれるのかもしれませんが、1ヵ月弱後にはもう「『元』阪吹団員」になってしまう事の寂しさがまさに冬の寒さと共にやって来ているような…。もうこのメンバーで熱くなれる時間もあと少しかあ。

またまた熱くなってしまいましたね。コーヒーはもう冷めてしまいました…残念。まあ良いです。さあ、ぼちぼち締め括りとしましょうか。

今一度自分に問いかけて下さい。実際に楽器を演奏する際、ただ指や手を動かして何となく演奏していませんか。どう吹きたいかという意思は持っていますか。まだ血の通っていない身体である楽譜に、血を通わせて音楽を生かすのは奏者の役割です。まだまだやる事は山積みですが、もう1ヶ月弱しかありません。でも、まだ1ヶ月弱もあります。あなたの思う曲の最深部を合奏で見せて下さい。あなたの血は何色ですか。

それではその3回生飲みで酔っぱらってちょっと面倒臭かった金セクさんにバトンパスです。

posted by 大阪大学吹奏楽団 at 22:00 | Comment(0) | お知らせ
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