2019年12月03日

愛ってなに−−ワイン飲めるようになりたい

みなさまお久しぶりです〜
木セクのあうるです(^^)
阪吹の定期演奏会まであと19日です!20日切ってます!!!この短期間で超人的に成長するのが阪吹です、ですよね、はい。

さて(笑)、
曲紹介シリーズ第4弾きらきら\ぱーん/きらきら
今回は第2部2曲目に演奏いたします、John Mackey作曲のWine-Dark Seaを取り上げます。吹奏楽コンクール等で耳馴染みのある方も多いのではないでしょうか。
ジョン・マッキーといえば、阪吹の過去の演奏会でもアスファルトカクテルやオーロラアウェイクスを取り上げていますが、吹奏楽界で今注目を浴びているアメリカ出身の若手作曲家ですUSA
マッキー氏は作品について彼の妻であるアビー氏に相談することが多く、彼の作品の題名のほとんどはアビー氏によって命名されているそうな。

今回ご紹介する交響曲ワインダークシーもそのうちの一つです。テキサス大学内の音楽学校の創立100周年を記念した同大学吹奏楽団の委嘱を受けたマッキーでしたが、彼にとって初めての30分を超える作品依頼に難渋します。
そこで例によって妻のアビーに相談し、古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスの詩「オデュッセイア」に基づく標題交響曲としました。

ちなみに、曲題のワインダークシーとは直訳すると葡萄酒色の海ということになります。ホメロス作のオデュッセイアに出てくる表現を英訳した際にこのような表記になったとのこと。1楽章と2楽章はどちらも、事が落ち着き穏やかになった葡萄酒色の海を背景に幕を閉じていて、曲題としてふさわしい印象的な情景となっています。

以下に彼らがオデュッセイアをもとに再構成・脚色したストーリーをざっくりとではありますが紹介いたします。
ーーー*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*−
T 傲慢(Hubris)
 オデュッセウスは、トロイア戦争で勝利をおさめ、大量の戦利品を積んで帰路についていた。しかし積荷には「傲慢」も紛れていた。この楽章は彼の凱旋行進曲で幕を開け、続いて行く先々での略奪の場面が描かれる。傲慢の果てに神々の怒りを買った彼らは、最高神ゼウスによって船を打ち砕かれる。船は難破し、海にすべてが飲み込まれる。
U 儚い永遠の糸(Immortal thread, so weak)
 海岸に打ち上げられて生死をさまよっていたオデュッセウスは、海の女神であるカリュプソーに出会う。そこは美しく永遠の命を持つ彼女が一人で寂しく住まう島だった。この楽章は彼女の愛の歌である。彼女は彼を献身的に看病し、愛し、7年もの歳月を過ごした。その間に彼女は歌を口ずさみながら愛の証として金色の糸でタペストリーを織り続けていた。
しかし、ある日オデュッセウスは妻や息子が暮らす懐かしい故郷を思い出す。彼は望郷の思いをカリュプソーに伝える。そして恩知らずにも彼女が与えたものの数々をあざけった。彼女は傷心しつつも、その日の晩のうちに愛の証であったタペストリーをほどいてその糸で再び船のため帆を織り上げた。翌朝、カリュプソーは船そしてワインやパンとともに織り上げた帆をオデュッセウスに渡した。彼女は彼が安全に帰郷できるように穏やかで一定の風を呼び起こしてあげた。そして彼女は彼を見えなくなるまで見送った。−−−たとえ彼が振り向くことなくとも。
V 魂の叫び(The attentions of souls)
 他の神々のオデュッセウスに対する怒りが収まっていないため、彼は帰郷の前に世界の果てでいけにえを捧げなければならなかった。この楽章は暗闇に包まれた冥界の門が舞台となっている。オデュッセウスがいけにえにする動物たちの首を切ると、その魂が彼にまとわりついてくる。それらは彼に甘い言葉でもって彼の命を求めて誘惑してくる。さらにそれらは彼の過ちを責め立てて、帰郷できない彼をあざ笑う。また彼は母の魂にも遭遇するが、彼に気付く気配はなく、実体がないため触れることもできずに打ちひしがれるのみだった。そして冥界では英雄たちの魂でさえも飢えて貪欲なことを知った彼は絶望する。最終的に予言者テイレシアスから帰郷の助言を受けたオデュッセウスは、波のように押し寄せ、甲高く叫ぶ魂たちを振り払って冥界を脱出する。まだ暗闇の中ではあったが、オデュッセウスは前方に故郷の光を見出したのであった。
ーーー*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*−

アビーとマッキーが再構成したストーリーには原作と齟齬がある部分がありますが、それが顕著に表れているのが二楽章です。原作であれば、カリュプソーは帰郷を望むオデュッセウスを引き止めていたし、オデュッセウスも彼女がくれたものを馬鹿にしていません。ギリシャ神であるアテネやゼウスがヘルメースを通じてカリュプソーにオデュッセウスの帰郷を命じて、やっとこさカリュプソーはオデュッセウスに帰郷の許可を与えています。また全体的によりドラマティックな展開となっていることも特徴的です。カリュプソーを報われない哀れな女性として描き、オデュッセウスのクズさをマシマシ(ほんとにクズ)にして、さらにドラマティックに仕立てることで、カリュプソーの純愛を印象的に演出したかったのではないかと思います。

話は逸れますが、
高校時代にお世話になった方が「音楽するということと愛するということは実質同じ」(ニュアンス)ということをおっしゃっていました。今でも印象的な台詞です。
説明を聞いても当時はあまり理解できませんでした、というか今もよく分かっていません。音楽するというのも、愛するというのも抽象的で幅が広くて難しいです。成人した今でも。

カリュプソーの愛から愛するということを考えましょう。相手と心を通わせる愛、相手を想う愛、献身的に支える愛、時には相手の幸せを優先させる愛、、

恩師は、「演奏する時はそもそも指揮者と奏者の間あるいは奏者間で心を通わせている」とおっしゃっていた記憶があります。そして「相手を思いやった上でそれぞれが演奏でもって応える」と。
他者と心を通わせていく際に、自分の意志を持った上で(自分の意志がないとそれは愛ではなく支配?知らんけど)、他者の反応に応じて自分の演奏をしていきます。そこには互いへの敬意と配慮が必要で、その時々の他者に対する自分の立ち位置をわきまえて音を出す必要があります。時には相手を引き立たせるためにバックに回る必要もあるでしょう。

こんなことをおっしゃっていたのかな。よくわかりません。

なんだか今の演奏には「愛」が足りない気がします。「愛」というのかは分かりませんが。
互いに心を通わせてないし(奏者同士が聴きあっていない、指揮を見れていない)、互いを尊重して対応できていないし(それぞれの音や動きに対応して自分の演奏を構築できていない)、自分の意思も弱くて「支配」になっている気がします(こう演奏したいという意志が弱くて言われるがままに演奏している)。
私もですがもう一度自分の立ち振る舞いを見直してみましょう。定演にお越しくださる方々には「愛」のある演奏をお聴かせしたいと思っています。(ああこれ後で見返すと死ぬほど恥ずかしくなるやつだなあ)

時に激しく、時に冷酷に、時にあたたかく、そして熱く、音楽する私たちの演奏を見守っていただけると幸いです。

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12/22 17:00開場(幕前演奏は17:10〜です!)
長岡京記念会館
へ是非お越しくださいm(_ _)m



posted by 大阪大学吹奏楽団 at 17:23 | Comment(0) | 木セク
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